かなざわの人物 永島泥亀

ナガシマデイキ 1625-1695 江戸時代初期の儒官・新田開拓者。

 有名な吉田新田(横浜市中区)と同じ時期に、金沢でも平潟湾・内川入江の埋め立てが行われ、「泥亀新田」と言います。区役所等がある泥亀1・2丁目、泥亀バイパス(国道16号)の「泥亀」は、開拓者長嶋裕伯(ユウハク)の雅号「泥亀」からきています。
 泥亀の父道仙徳元は、但馬国養父(ヤブ)郡九鹿(クロウ)村出身で京にて医業を学び、寛永14年(1637))頃までに江戸に移りました。
 『図説かなざわの歴史』(2001年発行)他みな、泥亀を湯島聖堂の儒官としています。寛永7年(1630)林羅山によって上野忍ケ岡に学寮・書庫が建てられました。忍ケ岡の聖堂は、徳川綱吉の命で湯島に移り元禄3年(1690)完成です。それ以前に泥亀は新田開発に着手し、走川(ハシリガワ)新田・平潟新田は寛文8年(1668)完成です。泥亀は忍ケ岡で学んだ儒官と言った方が適切でしょう。
 老中酒井忠清の勧めもあって、父の養生と新田開発のため金沢の野島に移住しました。 新田完成後、度々地震・津波等で荒廃し、苦労の末復興は幕末(永島亀巣の代)に至りました。雅号は『荘子』からスッポンになぞらえて、泥の中を這って功名も栄達も考えずに生きたいと言う意味でしょう。

(井上泰利) 

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