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▶鎌倉時代から800年以上も続く富岡八幡宮

富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は約800年前、1191(建久)2年に源頼朝が摂津の西宮の恵比寿様をお祀りしたのが始まりと言われています。1311(応長元)年の大津波の時に、村の人々を守った事から「波除八幡(なみよけは […]

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▶称名寺の浄土庭園

京急の金沢文庫駅の近くに称名寺の浄土庭園があります。平安時代から鎌倉時代にかけて作られた庭園で、極楽浄土の世界を再現しようと作られたものだそうです。仁王門から入って、赤い太鼓橋を渡ると阿弥陀堂があります。(2023120 […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その21 戦国時代の江戸湾をめぐって> 

 江戸湾は中世を通じて東国流通の大動脈でした。当時は江戸湾とは呼ばれておらず、史料上は「前海」「内海」、江戸時代には「江戸前」「江戸浦」とも表記されています。アメリカ使節ペリー来航時に「EDO BAY」と名づけられました […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その20 国府台合戦>

 足利義明(高基の弟)は、関宿城(高基・晴氏の拠点)の攻略を図っていました。古河公方・足利晴氏は、北条氏綱に義明討伐を依頼しました。天文7年2月義明・里見義堯は太日川(フトイカワ 現・江戸川)東岸の国府台に陣を張り10月 […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史 <その19 右衛門大夫康信> 

 『北条家所領役帳』には、「釜利谷 伊丹右衛門大夫」とあり諱(イミナ 実名)が書かれていません。『金沢と六浦荘時代』(1914)では「右衛門大夫は即永親のことなるべく果して然りとせば」とあり、『金沢ところどころ』(198 […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その18 北条家所領役帳と家臣団>

 『北条家所領役帳』は、北条氏領国全体すべての状況を示したものではありませんが、戦国大名研究で重要な史料です。石高制ではなく貫高制で記されており、総計560人の武士の名があり、825ケ村72168貫文余でした。  小田原 […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その17 伊丹右衛門大夫と北条家所領役帳>

 「伊丹右衛門大夫」は、信頼できる史料で最初に登場する伊丹氏の名です。史料名は、『北条家所領役帳』(古くは『北条分限帳』 以前は『小田原衆所領役帳』とも呼ばれた)です。小田原北条氏3代氏康の時代、知行役負担の状況を明確に […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その16 続 菩提寺 禅林寺> 

 毎年4月17日には、禅林寺にて「東照大権現画像」が一般公開され供養が行われています。この日は徳川家康の命日です。ここ金沢は全国的には有名ではありませんが、家康ゆかりの地でもあります。洲崎の龍華寺には慶長5年(1600) […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その15 菩提寺 禅林寺>

 永親が中興開基した竹嵓山禅林寺について述べます。寺伝では鎌倉公方足利持氏(アシカガモチウジ1398-1439)を開基とし、明応2年(1493)能山聚芸(ノウザンシュゲイ 1442-1512)が開山したとしていま […]

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釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その14 三河守永親>

 左京亮から永親(ナガチカ)の関係がはっきりしません。曽孫でしょうか。父は前三河守(竹岩正賢庵主)と推定します。三河守永親の名は、信頼できる1次史料にはなく、『寛政重修諸家譜』に因幡守永親の名がありますが、これは甲斐徳 […]

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