かなざわの人物 永島亀巣
ナガシマキソウ 1808-1891 江戸時代後期久良岐郡泥亀新田の名主。明治時代は戸長を務める。8代高忠の子、名は忠篤タダアツ、号は亀巣。長嶋泥亀の子孫です。久良岐郡・鎌倉郡・三浦郡の大取締(大庄屋)として地域の取りまとめに尽くしました。
天保14年(1843)相模警衛の川越藩より水主差配役を任命され、名字帯刀二人扶持を受けました。泥亀新田・入江新田の再興(再々、高潮・洪水によって新田流失荒廃した)に努め、嘉永2年(1849)70町余を完成しました。安政元年(1854)熊本藩より家中諸役人並四人扶持を与えられ、村々取締頭取・改革大組合惣代助役を任命されました。同4年平潟新田を整備し塩田を復活しています。
明治17年(1884)亀巣と代々の功績を讃えて、野島に「亀巣之碑」(「永島亀巣功徳之碑」)が建てられました。篆刻の文字は小松宮彰仁親王、撰文は重野安襗(シゲノヤスツグ ツグは糸偏)、書は巌谷一六(修)です。当初は野島山の北山麓、永島家邸宅の庭園内に建立されました。住宅地となるため平成19年近辺の現在地に移転されました。
旧邸宅内には牡丹園があり、金沢区の花「ぼたん」はこれに因みます。
(井上泰利)