かなざわの人物 大橋新太郎
オオハシシンタロウ 1863-1944 越後(新潟県長岡市)出身の実業家・出版業者。
文久3年(1863)父佐平は「越佐毎日新聞」創刊、明治14年(1881)東京本郷に出版社「博文館」を創設しました。新太郎は同21年上京し、佐平と共に経営に携わりました。『博文館日記』は長く刊行されました。
新太郎は『日本大家論集』『太陽』など多くの雑誌を発行し、出版界に一時代を築きました。同35年に日本最初の私立図書館「大橋図書館」を設立しました。衆議院議員・東京商業会議所副会頭、王子製紙・日本鋼管・共同印刷・東京瓦斯等多数の会社の役員を勤めました。大正15年には渋沢栄一の推薦で貴族院議員となっています。
称名寺東側にあった海岸寺跡地の井伊直安(元与板藩主 直弼三男)の別荘地を購入し、別荘を新築。大正時代に入り新田開発の永島家に代わって、金沢の地域経済に貢献しました。また荒廃していた称名寺の復興を支援し、昭和天皇即位記念事業として昭和5年開館の「県立金沢文庫」建設にも尽力しています。尾崎紅葉の『金色夜叉』に登場する資産家富山唯継(トミヤマタダツグ)は新太郎が、鴫沢宮(シギサワミヤ)は元料亭(芝の紅葉館)の仲居で妻であった須磨子*がモデルと言われています。
*宮のモデルは、川田綾子という見方もある。尾崎紅葉の親友・巌谷小波(イワヤサザナミ 児童文学者)との結婚話があったという。小波は綾子と須磨子の両方と親しかった。間貫一のモデルが巌谷小波。博文館と紅葉は、印税をめぐる争いがあったという。
(井上泰利)