かなざわの人物 大久保主水忠行

オオクボモントタダユキ ?-1617 江戸時代初期の旗本(300石)。のち幕府御用菓子商人・小石川上水開削者。

釜利谷東7丁目に真言宗御室派の自性院があります。その右となりが宇賀山王社です。『坂本村宇賀山王社縁起』*によりますと、寛永11年(1634)7月大久保主水忠行の未亡人・蓮台院妙乗日宝信尼(?-1644)が奇瑞の霊夢をえて、近辺の堀之内の福松山にあった小社を家来に調べさせたのち、子息忠元をして再興させたとあります。田地二反を寄進し自性院に管理を依頼しました。

忠行は三河武士で合戦によって負傷しました。その後江戸の水道治水に従事し、小石川上水(のちの神田上水 慶長年間1596-1615完成)を開削しました。また菓子作りが得意で幕府の菓子司を勤めました。藤五郎忠行は、徳川家康から主水の名を与えられました。本来モンドですが、水を扱ったことから「モント」と澄んで称えるようになりました。台東区谷中・日蓮宗瑞輪寺に井上毅と共に墓(東京都旧跡)があります。

 *天保5年(1834)9月大久保忠記 著。

(井上泰利)

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