かなざわの人物 マシュウ・カールブレイス・ペリー

1794-1858 幕末期のアメリカの東インド艦隊司令官。ロードアイランド州ニューポートに生まれました。三男で父兄も海軍士官。蒸気船の導入に努め「蒸気船海軍の父」と呼ばれました。

嘉永6年(1853)6月軍艦(黒船)4隻を率いて浦賀に入港し開国を求めました。翌年1月*江戸湾に7隻(その後9隻)で再来日し、日米和親条約を締結しました。八景島の東側先端に「アメリカン・アンカレッジ記念碑」がドーム状建物の下にあります。

これは横浜開港150年を記念して建立され、2010年2月3日除幕式が行われました。場所は久里浜で大統領親書を渡したのち、小柴(金沢)沖*に投錨(停泊)し「アメリカン・アンカレッジ」と名付けられたことに因みます。

 『ペリー艦隊遠征記』に「黒船の乗組員は日本人の親切な気質を知り、また見渡す限りの豊かな緑に包まれたその美しさは、見飽きることがなかった」と記しています。1858年3月4日(陽暦)ニューヨークで、居間のソファにもたれたまま息を引き取りました。あだ名は「オールド・ブリュイン(熊親父)」声が大きかった、几帳面な人物でした。   

*来航 嘉永6年 陰暦6月3日 陽暦7月8日 嘉永7年 陰暦1月16日  陽暦2月13日

*小柴沖 当時の海岸から1.5マイル=2.4㎞。            

(井上泰利)

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