かなざわの人物 卜部兼好
ウラベカネヨシ 兼好法師 ケンコウホウシ 生没年不詳。
正平7年(1352)までの活動が確認されている南北朝時代の歌人・随筆家。『徒然草』著者。
かつては「吉田兼好」と呼ばれましたが正しくありません。官人(蔵人・左兵衛佐)のち出家し、関東に2度赴いたと言われますが、謎の多い人物です。
『徒然草』は中世隠者文学の代表作です。第三十四段には、「甲香」(カイコウ 練香の材料となる貝の蓋)について「武蔵国金沢といふ浦にありし」を伝える記事があります。第二百三十八段には、「顕助僧正にともなひて 仁和寺真乗院加持香水をみはべりしに」とあり、顕助は金沢貞顕の子息と思われます。兼好は堀川家に侍として仕える以前、延慶年間(1308-1311)に貞顕が京都赴任中(六波羅探題南方)に、貞顕の被官であった可能性もあります。また顕助に仕えた仁和寺の道我と親しく、金沢北条氏・仁和寺・堀川家と交流があったようです。
『兼好法師家集』七十六に「武蔵国金沢といふところに 昔住みし家のいたう荒れたるに泊まりて 月あかき夜」と金沢を題材にしたものがあり、かつて金沢に住み再び訪れたようです。また金沢貞顕に仕えた倉栖兼雄と兼好は兄弟とした説もありますが、否定された見解が大です。兼好は二条派の歌人で、後世頓阿・慶運・浄弁と共に二条為世の和歌四天王に数えられています。
(井上泰利)