かなざわの人物 東皐心越禅師

トウコウシンエツ 1639-1695 中国出身の僧侶。

 浙江省で生まれ、曹洞宗で得度し、世界遺産となっている西湖畔にある永福寺住持となるが、明王朝が倒れて清王朝となった事を嫌い、日本に渡来しました。

 最初は長崎で苦労しましたが水戸藩に救われ、水戸光圀の信頼を得て天和3年(1683) 水戸城北三の丸に屋敷を賜りました。金沢に当時あった入海を囲む景観は、西湖の景観に似ていたとされ、光圀の指示で水戸藩が作成した『新編鎌倉志』は鎌倉から金沢への旅行案内書ですが、これに序文を書いています。その後金沢を訪れ、眺望の良い高台にある曹洞宗寺院、能見堂から金沢の景観を眺め、中国の山水画の画題「瀟湘八景」に因み八編の漢詩「武州金沢能見堂八景」を詠み、金沢八景を命名したとされています。

 心越は書や篆刻に優れ、京都の鹿苑寺(金閣寺)や小机(港北区)の雲松院などに篆刻額が残っています。能見堂にも寄贈しましたが、残念な事に明治2年の失火で寺院とともに焼失しました。

 水戸では光圀の信頼厚く、水戸徳川家の菩提寺「祇園寺」を曹洞宗の寺院として開山しました。俗説ですが母は三国志の関羽の末とされ、光圀は妹君を 嫁がせしめようとしましたが、心越は受けなかったとされています。

(林原泉)

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