伊丹屋敷

伊丹氏屋敷跡(昭和時代の釜利谷小学校)

伊丹氏の館

武蔵国久良岐郡釜利谷に拠を構えた伊丹氏は摂津国河辺郷(兵庫県伊丹市)の領主伊丹氏の末裔で、加藤景光の三男経貞が関東に下向したとされています。

そして、後北条氏に仕える以前の室町時代から金沢湊を拠点に房総方面の渡海し活躍していた地頭と伝えられています。

さて、日本城郭体系第6巻によれば、「伊丹氏の屋敷伝承地は、京浜急行金沢文庫駅西方一.三kmの釜利谷小学校裏手の堀の内地区にある。」とされていますが、校地造成や宅地化のため、旧状を想像することはできません。住宅地価により遺構は消滅し、城跡の確認は難しくその詳細や規模は不明です。

昭和初期の釜利谷小学校の様子

また伊丹氏の菩提寺の禅林寺近くには伊丹氏の屋敷があったと伝えられています。禅林寺は曹洞宗寺院で鎌倉公方足利持氏の建立であり、中興開基は伊丹三河守永親とされ境内には永親の墓石があります。

禅林寺 伊丹永親のお墓

伊丹氏の活動

『北条氏所領役帳』よれば、江戸衆に伊丹右衛門大夫とあり「弐百五拾五貫文久久良岐郡釜利谷」この外「拾九貫文 入西勝之内(坂戸氏、川越市、鶴ヶ島市の一部)藤井共」、この外「弐貫文 釜利谷棟・反銭は弟孫五郎に下される」とあります。

伊丹氏の所領は釜利谷で255貫462文、他の所領を合わせ367貫3百3拾2文、この他弟孫五郎に釜利谷棟別反銭20貫となります。

『北条氏所領役帳』は家臣の居城または居館の場所がはじめに記載されますので、伊丹氏は釜利谷を本拠に活躍した北条氏江戸衆の武将です。

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