かなざわの人物 貞暁

ジョウギョウ 1186-1231 鎌倉時代初期の僧侶。源頼朝の三男で庶子、母は藤原 時長の娘大進局。

 異母兄頼家の4歳下、異母弟実朝より6歳年長。頼朝の寵愛 を受け懐妊した大進局は、頼朝の正室北条政子の怒りを恐れた頼朝によって遠ざけられ、家臣の長門景遠宅にて男児を出産しました。政子の嫉妬を恐れて出産の儀式は省略され、 乳母のなり手がないなど、人目を憚るように育てられました。

 実朝が生まれる3ヶ月前の建久3年(1192)5月7歳の時、仁和寺の隆暁(リュウギョウ)に弟子入りするため鎌倉を出発しました。頼朝は出発の夜密かに息子の元を訪れ犬刀を与えています。

 同年6月仁和寺勝宝院に入室し、修行を重ね法名を能寛から貞暁と改め、元久3年(1206)院主となりました。2年後西野山に登り俗界から遠去り生涯を終えました。政子も晩年には貞暁に帰依し、源氏一族の菩提を弔わせるべく援助したそうです。  一方頼朝は大進局が鎌倉を去る際、母子のために伊勢国内に所領を与えました。貞暁の死後、勝宝院は備中巨勢荘に代わって一時六浦荘の領主となりましたが、約40年後建治3年(1277)元の如く巨勢荘の領主に戻りました。洲崎の龍華寺は仁和寺の別格(準)本山で、金沢区内には真言宗御室派の寺院が13ヶ寺あります。

(井上一夫)

龍華寺

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