かなざわの人物 伊藤博文

イトウヒロブミ 1841-1909 明治期の政治家。

 父林十蔵が足軽伊藤直右衛門の養子となり、萩で過ごしました。博文(利助・俊輔)は、安政3年(1856)長州(山口県)藩の命令で三浦郡上宮田(三浦市)の陣屋に、相州警備のため来原良蔵(クルハラリョウゾウ)の従者として駐在しました。任地の往復に金沢に立ち寄り、その風景の素晴らしさを実感し、強く記憶に残ったと思われます。

 明治20年、憲法の起草作業のため金沢に近い夏島に別荘を建てました。別荘地は陸軍の砲台建造のため返却し、明治29年に大磯に別荘「滄浪閣」を新築しました。明治31 年、夏島の北西、野島に再び別荘を建築しました。敷地面積3854㎡ (1171坪)、建坪330㎡(100坪)でした。紆余曲折を経て昭和34年に至り、横浜市が買収し運営管理することになりました。解体・新築復元工事が行われ、平成21年10月竣工しました。金沢は明治の一時期、東京近郊の海浜別荘地として注目されましたが、その人気は大磯や葉山に移りました。「旧伊藤博文金沢別邸」は当時の別荘地の数少ない貴重な建築遺構です。

 天皇制近代国家の確立に努めた博文は、明治30年に横浜の実業家平沼専蔵と共に「金沢文庫」(当時の建物は昭和5年解体)を再興しています。                                                                                                    

(村尾篤彦)

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