かなざわの人物 巨勢金岡
コセノカナオカ 生没年不詳 平安時代前期の公卿・絵師。
金岡と金沢の関わりは「筆捨ての松」伝承です。
室町時代中ごろ、万里集九(バンリシュウク)という元禅僧の『梅花無尽蔵』という漢詩集に書かれています。宇多天皇の御代の仁和年間(885-889)に金沢を訪れた金岡は、現在の能見台森(能見堂緑地)の高台から南の景色を眺めました。内海の潮の流れの激しさと島や小さな岬の景観の美しさに圧倒され、絵を描けず絵筆を投げ捨てたと記されています。その近くに松があり「筆捨ての松」と呼ばれました。大正時代に台風で倒れ、さらに戦時中根っこも取り除かれてしまいましたが、この書物によって9世紀後半の金沢における金岡の存在と、かって「能見堂」があったことがわかります。
金岡は、『広辞苑』に「唐風の風景•風俗画を和様化する新様式を開き、画家の社会的地位を高めた」とあります。確かな作品は現存していませんが、松江市の八重垣神社蔵の男神像(素箋嗚尊)・女神像(奇稲田姫)の板絵著色神像が伝金岡作と言われています。大納言まで出世したと伝えられる貴族で、菅原道真・紀長谷雄・藤原敏行ら当代一流の文化人と親交があった人物です。
(井上泰利)