かなざわの人物 上杉憲方

ウエスギノリカタ(ノリマサ) 1335-1394 南北朝時代の武将。

 2021年1-3月、横浜市歴史博物館にて特別展「横浜の仏像」が企画され、その中に静岡県賀茂郡河津町・林際寺の仏像が展示されていました。なぜでしょうか。木造「地蔵菩薩坐像」(69.6cm)南北朝時代の作です。2018年11月、像内から墨書が発見され、「大旦那房州道合」と記されておりました。房州道合とは関東管領・山内上杉憲方のことです。仏像(能仁寺本尊)は永徳3年(1383) 上総州法眼朝栄が造ったことがわかりました。憲方は、建長寺47世方崖元圭を招いて能仁寺(金沢八景駅南西部・米倉陣屋跡)を創建しています。17世紀中ごろには廃絶となっており、林際寺過去帳によると、寛文12年(1672)建長寺塔頭・龍峰庵の玉英によって林際寺に寄進されました。形状は寺前(称名寺赤門前)の薬王寺客仏(三宝寺本尊)「地蔵菩薩坐像」(40.2cm)とほぼ共通するそうです。
 憲方は能憲の弟で、小山義政の乱を鎮圧し、上野・伊豆・武蔵の守護を努め、鶴岡八幡宮大鳥居を寄進しました。北鎌倉の明月院も憲方が中興開基です。元は禅興寺の塔頭・明月庵でした、法名「明月院殿天樹道合」にちなんで改称しました。明月院境内やぐら内に伝供養塔が、また江ノ電・極楽寺駅近くに七層の墓塔があります。

(井上泰利)

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