釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その13 宇賀山王社と大久保主水忠行>

 福松山慈眼寺自性院*38は真言宗御室派です。『新編武蔵風土記稿』坂本村の項には、「古義真言宗 洲崎村の龍華寺末 福松山と号す 本尊阿弥陀は立像 開山開基詳ならず」とあります。現在は聖観世音菩薩です。

 また寺に隣接する宇賀山王社について「小名堀之内字福松と云山の上にあり 大久保主水夢想の告ありて霊験を蒙りしとて社を造営すと云 村内自性院持」と記しています。

 伊丹氏の歴史から逸れますが、『武州久良岐郡金沢之郷釜利谷 福松山宇賀山王権現社略縁起』*39を紹介します。大久保主水忠行の妻(蓮台院妙乗日宝信尼)が、寛永11年(1634)7月「奇瑞之霊夢」を感じて、家来の仙水清左衛門正純に釜利谷の坂本の地を訪ねさせると、小社がありました。子息の2代主水忠元に社を再興させ、自性院を別当寺として管理を頼み祀りました、と記されています。これは10代忠記(タダノリ)が著わした『縁起』で、初代主水の妻は、小田原北条氏家臣で旧釜利谷の領主遠山神四朗景氏の女(ムスメ)としています。遠山氏は釜利谷の領主ではありませんし、景氏という人物も遠山氏の系図には見えません。この辺は怪しいです。

 宇賀神(ウガジン)とは、梵語(サンスクリット語)のウガヤを音写したもので、ウガヤは白蛇のことで、食物を掌り飢えを助ける功徳がある神で穀物霊の神格化とされています。

 大久保藤五郎忠行は、三河譜代の徳川家康の家臣で、戦で負傷しました。得意の三河餅など菓子を作って献上しました。よって子孫も幕府御用達の菓子司を勤めました。また小石川上水・神田上水(慶長年間(1596―1615)完成)の開設者でもあり、家康から「主水(モント)」*40の名を賜りました。忠行の墓は台東区谷中の瑞輪寺(日蓮宗)にあります、都旧跡です。

 2019年NHK正月時代劇「家康 江戸を建てる」(原作 門井慶喜)の前編「水を制す」に、上水工事を担当する大久保藤五郎(主演 佐々木蔵之介)が登場しています。

*38:慈眼(ジゲン)とは衆生を慈悲の心で見る仏・菩薩の眼。自性(ジショウ)とは物それ自体の本性。本来の性質。

*39:『神奈川県史 史料編8近世(5下)』268 天保5年9月。大久保主水忠記著。 

*40:律令制の時代、宮内省の大膳職・五寮・五司の一つ主水司(モヒトリノツカサ モンドノツカサ)。水・粥・氷室を掌る職。「モヒ」は飲み水のこと。                                            

                                                    (井上泰利)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です