かなざわの人物 野口英世

ノグチヒデヨ 1876-1928 明治から昭和初期の医学者。

福島県麻耶郡翁島村大字三ツ和字三城潟(サンジョウガタ 現 猪苗代町)にて、明治9年11月9日清作(のち英世)は誕生しました。経済観念が乏しく、楽天家・人柄はおおらか・威張らず誰にも親しまれる人物でした。恩人として小林栄(猪苗代高等小学校訓導)、渡部鼎(会陽医院院長)、血脇守之助(高山歯科医学院幹事)、北里柴三郎(伝染病研究所所長)がいます。

明治32年6月21日 海港検疫医官補として横浜海港検疫所(長浜)に赴任*しました(22歳)。28年に横須賀の長浦検疫所が金沢村柴へ移転、翌年「長浜検疫所」と改称しました。6月22日香港から長崎・神戸経由で亜米利加丸が横浜に入港、2人のペスト患者が発症し、英世は防疫・消毒などに活躍しました*。10月北里柴三郎の推薦により中国の牛荘(ニューチャン)へ赴任しました。ゆえに横浜滞在は3ケ月余です。翌年12月亜米利加丸でアメリカに渡りました。

「細菌検査室」は関東大震災で倒壊し、翌大正13年に再建されました。「長浜ホール」は旧事務所の外観を復元したものです。

*長浜赴任 32年横浜海港検疫所設置。長浜の施設は消毒・停留・隔離を行う。6月16日補任 21日赴任  (小林栄への手紙より)。

*防疫・消毒 22~25日に患者4人 (6月26日付毎日新聞より)。   

(井上泰利)

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