かなざわの人物 玉隠英與
ギョクインエイヨ 1432-1524 室町時代中頃の禅僧、信濃の人。
蘭渓道隆*の法系を継ぎ、器庵一璉について印可(師僧が弟子の悟りを証明すること)を受け嗣法しました。禅興寺*8世・建長寺164世の住持となりました。
万里集九の『梅花無尽蔵』にその名があります。万里集九は文明18年(1486)鎌倉・明月院を訪れていますので、玉隠と対面したと思われます。文筆僧・画僧として名高い建長寺書記の賢江祥敬*とも親交があって、祥敬筆「巣雪斎」図に賛文を書いています。建長寺蔵・喜江禅師像などにも題賛を施しています。明月院には玉隠自賛の頂相(肖像画)があります。明応2年(1493)金沢(町屋)の伊丹氏屋敷に招かれ、「夏島」*に関する漢文を残しています。
応仁の乱後、鎌倉禅林唯一の文筆僧と言われ、晩年は禅興寺明月院・建長寺西来院に退去しました。宗献大光禅師。
*蘭渓道隆:ランケイドウリュウ 1213-1278 鎌倉時代中頃の禅僧。中国西蜀の人。寛元4年(1246) 来朝。北条時宗の請願により建長寺を開いた。大覚禅師。
*禅興寺:伝北条時宗開基。十刹の一。蘭渓道隆が文永5・6年頃(1268-69)開山。北条貞顕書状に長老のことが見える。塔頭に宗献院・明月院・黄龍院・江雲院・宗徳庵などがあった。明治初期に廃寺となった。
*賢江祥敬 ケンコウショウケイ 生没年不詳。「敬書記」と呼ばれた。貧楽斎と号した。文明10年(1478)上洛して芸阿弥に師事した。関東水墨画壇の中心人物となる。京鎌倉五山の文学僧とも親交があった。
*夏 島 金沢八景駅の南東、横須賀市追浜地区の海側にあった島。初期縄文土器が出土した。大正5年埋め立てられ、追浜海軍航空隊がおかれた。現在は日産自動車のテストコースがあり、また明治憲法記念碑が建つ。
(井上泰利)