かなざわの人物 平沼専蔵
ヒラヌマセンゾウ 1836-1913 幕末・明治時代の実業家。武蔵国(埼玉県)出身。
平沼安兵衛の三男。横浜開港後、横浜に移り海産物売込問屋明石屋平蔵店で働いた。慶応元年(1865)独立し、本町4丁目に羅紗・唐桟などの取引商を開業しました。明治11年(1878)生糸売込問屋芝屋清五郎商店の業務を引き継ぎ、土地売買や株式投機にも手を広げました。同13年金叶貯蓄銀行(のち平沼貯蓄銀行)を、同44年(1911)平沼銀行設立しました。
神奈川県会議員・横浜市会議員を経て、同26年貴族院議員・同35年衆議院議員(政友会)などを歴任しました。慈善事業にも貢献しています。
伊藤博文の斡旋で専蔵が寄付した2000円を資金として、明治30年(1897)金沢文庫を復興しました。この時博文は、明治憲法起草の関係資料を金沢文庫に寄贈しています。
経緯は、同18年岡谷繁実(1835-1919 旧館林藩士)は称名寺を訪れ、金沢文庫を世に広めました。村岡融仙(称名寺住職代理)はその復興を要望し、博文が賛同して専蔵や東京の有力者へ働きかけたわけです。子院の一つ大宝院の傍らに建てられましたが、大正12年関東大震災で被災し、昭和5年(1930)解体されました。
玄関の車寄せの屋根のみが移築され残っています。また西区老松町に「野毛山住宅亀甲積擁壁」が横浜市認定歴史的建造物(2006)としてあります。これは明治23~26年頃建造された平沼専蔵の邸宅地跡です。
(井上泰利)