かなざわの人物 喫茶去 その3<利休居士>

一般には天正13年(1585)に「利休」と号したとされますが、表千家に伝わる「仏祖正伝宗派」なる一軸には、「利休宗易」と書かれています。天文14年(1645)4月8日、利休24歳の時でした。一方で大徳寺117世古渓宗陳の斡旋によって、勅賜居士号の称を願い奉請し、前例のない居士号で禁裏(朝廷)参入奉仕したと伝わります。

居士とは、隠者・学識高く仕官しない人を意味します。家主・資産家の家長の意味もあります。また在家で仏道修行をする男子で、三帰五戒*を守り自らを律する人です。「財に居し家に居し、法に居し山に居す」という意味があり、利休はすでに居士体であったそうです。

<雲 孫>鎌倉時代前期の禅僧・明庵栄西(ミョウアンエイサイ・ヨウサイ)と同時代人に、陸游(リクユウ)という南宋最大の詩人がいました。『茶経』を著わして茶の神様とされる陸羽(8世紀・唐の人)の雲孫(ウンソン)であると自称していました。雲孫は9代目の子孫です。子・孫・曽孫・玄孫・来孫・昆孫(コンソン)・仍孫(ジョウソン)・雲孫の順です。さすが漢字の国です。陸游が陸羽の子孫である根拠はないようです。

*仏法僧に帰依すること。在家が守るべき不摂生・不偸盗など五種の戒律。

(井上泰利)

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