かなざわの人物 源頼朝<その3>
ミナモトノヨリトモ 1147-1199平安後期・鎌倉初期の武将。鎌倉幕府の 初代征夷大将軍。平家滅亡後、正二位権大納言・右近衛大将の公卿。
頼朝の死因・・・・・『吾妻鏡』は、建久7年(1196)1月から同10年1月まで記事を欠いています。建暦2年(1212)2月28日条に、去る建久9年相模川橋の落成供養の帰り落馬して、その後亡くなったという記事があります。『尊卑分脈』には12月27日落馬して病を得たと記しています。『明月記』には所労により、建久10年1月13日入滅とあります。その死因は色々な説があります。
『猪隈関白記』に飲水(糖尿病)で重体とあり、『愚管抄』では所労不快、『百練抄』も所労で死去とあります。建久5年8月・9月の『吾妻鏡』記事には、「御不例御歯労」とあります。
寒中の中で乗馬中に脳血管等の病気を急に発症したのか。落馬で頭を打ち脳内出血で脳が萎縮したか。飲水重病から水を飲み誤嚥性肺炎か。あるいは水や歯周病で口内細菌も肺に入り、誤嚥性肺炎を発症して死に至ったのか。また歯周病の進行で血栓(血の塊)が心臓や脳に流れ、虚血性の脳神経疾患によって落馬に至り、死の直前には脳梗塞に患わされていたのか。明快な死因はまだわかりません、落馬してから16日後のことでした。
(井上泰利)