かなざわの人物 源頼朝<その1>
ミナモトノヨリトモ 1147-1199 平安後期・鎌倉初期の武将。鎌倉幕府の初代征夷大将軍。
金沢八景駅近くに鎮座する瀬戸神社の伝えによると、治承4年4月8日頼朝が伊豆にて挙兵する前に、伊豆の三島明神を勧請して建てられました。その近くの平潟湾にある琵琶島神社は、北条政子が近江(滋賀県)の竹生島弁財天を勧請したと言われています。
琵琶島神社の参道入口右側(かつては左側)に「福石」と呼ばれる石があります。頼朝が神前の海で禊・祈願するとき衣服を脱いで、その石に掛けたという伝説から服石のち福石と呼ばれるようになったと思われます。
『金沢と六浦荘の時代』に、頼朝が勧請する折に札を海に流し、一の札は瀬戸(六浦)に二の札は杜戸(森戸)に三の札は三崎に流れ着いて、宮を建立したとあります。
頼朝と六浦の関係を示す確実な史料は残されていません。『吾妻鏡』にも記載されていません。治承4年8月17日御家人安達盛長に伊豆三島明神に参詣を命じています。8月23日石橋山合戦に敗れた頼朝は、房総半島を経由して10月6日相模国に入り、7日鎌倉の由比郷の八幡宮を遥拝しています。瀬戸神社は実際には、5・6世紀の祭祀遺物が発見されていますので、起源はずっと古く古墳時代頃と考えられます。瀬戸の内海は潮の干満の激しいところで、渡海の安全を祈って建てられたのでしょう。
(井上泰利)