かなざわの人物 明治憲法起草の四人
明治期~昭和初期の官僚・政治家。明治20年(1887)大日本帝国憲法草案を起草するため4人が金沢に集まりました。伊藤博文(イトウヒロブミ 1841-1909)・井上毅(イノウエコワシ 1843-1895)・金子堅太郎(カネコケンタロウ 1853-1942)・伊東巳代治(イトウミヨジ 1857-1934)です。
井上は熊本藩士、ドイツ憲法に精通した当時随一の法制度の専門家でした。皇室典範・教育勅語起草にも携わっています。金子は福岡藩士、米英の法律に造詣が深く貴族院令・衆議院選挙法に関わっています。伊東は長崎県出身、ドイツ法に理解を示し議員法制定に尽力しています。
草案作業は、瀬戸神社に近い料亭「東屋(アズマヤ)」で行われ、金子・伊東が宿泊し、井上は野島旅館に、伊藤は夏島別荘に寝起きしました。明治20年8月6日、東屋の伊東の部屋に泥棒が入り機密書類が入った鞄が盗まれました。さて自由民権派の仕業と一時色めき立ちましたが、鞄と書類は近くの大豆畑で見つかり、100円ほどの現金が盗られただけでした。この事件以後草案作業は、夏島別荘にて行われました。機密漏洩防止には絶好の地でした。その後井上は文部大臣、金子は農商務大臣・司法大臣、伊東は農商務大臣等を努めました。洲崎広場に「憲法草創之処」碑があります。
(村尾篤彦)