かなざわの人物 上総広常
カズサノスケ ヒロツネ ? -1183 千葉広常 上総介。平安時代末期の武将。
六浦から横浜横須賀道路方面へ、バス停「朝比奈」近くに五輪塔があります。昭和56年道路拡張工事中に失われ、3年後地元有志によって再建されたものです。五輪塔の人物は、上総五郎兵衛尉忠光・佐竹上総介など諸説ありますが、最も知られているのは上総介広常です。父は若い頃の源義朝(頼朝の父)を養育した平常澄です。
源頼朝は伊豆で旗上げ(挙兵)後、房総半島を経て治承4年(1180)10月鎌倉に入りました。その間同族千葉常胤より遅参して、頼朝から叱責されたエピソードがあります。寿永2年(1183)葉山三ケ岡にて頼朝に対して馬上で会釈し下馬の礼を取らなかったなどの理由で、誅殺されました。頼朝に味方したのは、常陸の佐竹隆義・義秀、下総の藤原親政ら平家方の武士に圧迫された厳しい状況で、むしろ「渡りに船」と言った感じでした。遅れたのは常胤の方で、『吾妻鏡』の編纂で広常が不利な形で記述されたようです。謀殺された理由に、頼朝と肩を並べる協力者という立場や大きな軍勢を有しており警戒されたという見方もあります。朝比奈峠を越えた鎌倉側の三郎の滝近くの屋敷で、一説に将軍御所で、梶原景時・天野遠景らによって謀殺されたと伝わっています。
(井上泰利)