かなざわの人物 川合玉堂

カワイギョクドウ 1873-1957 日本画家。本名は川合芳三郎

 明治6年11月愛知県葉栗郡外割田村(一宮市木曽川町外割田)の長良川沿いで誕生。子供の頃から絵の才能が評判で、幼くして看板や岐阜提灯を描いていたという。川合家の家業は岐阜で文具商を営み、お客に書家の青木泉橋(センキョウ)と美人画の青木翠頻(スイヒン)夫妻がおり、玉堂の才能を見抜き京都で絵を学ぶことを薦めました。はじめ父は反対でしたが母や親族が賛成し、父も合意し絵を学ぶことができました。

 当初は望月派の望月玉泉に師事し、次に丸山四条流を学び、さらに上京して橋本雅邦に師事し狩野派の画法の習得に励みました。独自の画業の方向性を確立し、日本画を代表する画家となりました。文展の審査員や東京美術学校日本画教授を努めました。大正5年六曲二双の「行く春」を第10回文展に出展し、のちに国の重要文化財に指定されました。

 富岡の別邸は大正13年から数年を要して完成しました。家屋は茅葺の数寄屋造りで敷地は2500坪あり、当時珍しい雑木の回遊式庭園でした。平成7年11月横浜市指定有形文化財に指定、同25年10月主屋は全焼しました。同28年11月園庭と茅葺の表門が市の名勝になりました。                    

(柳下五介)

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