かなざわの人物 朝比奈三郎義秀

アサヒナサブロウヨシヒデ ?-1213? 鎌倉時代初期の武将。

 鎌倉幕府初代侍所別当・和田義盛の三男です。義盛は源頼朝に重用され、2代将軍頼家の代、合議制による重臣13名の一人でした。母は木曽義仲と共に戦った巴御前と『源平盛衰記』にありますがこれは伝説で、千葉氏の一族安西明景の娘です。安房国(千葉県)朝夷郡で成長したあるいは所領があったと言われていますが、確証はありません。水練に長じて大力無双であったと言われています。 現在の金沢区朝比奈は、江戸時代は相模国鎌倉郡峠村でした。ここから鎌倉の十二所を結ぶ山越えの道を朝比奈峠・朝比奈切通しと通称されています。昔は六浦路・六浦道と呼ばれ、三郎義秀が一夜で切り開いたという話が伝わっています。実際には仁治2年(1241)着工し、翌年ころ竣工したと思われます。鎌倉七つの切通しの中で最も旧状を伝えています。昭和44年史跡指定されました。

 建暦3年(1213)2月謀反の疑いで義盛の息子義直・義重・甥胤長らが逮捕され、胤長は許されず陸奥に配流となりました。さらに北条義時の挑発によって義盛は5月挙兵を決意。義秀も奮戦しましたが、敗れて安房に逃れたと伝わっています。 (井上泰利)

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