釜利谷の戦国武将・伊丹氏の歴史<その3 藤原鎌足の子孫>
伊丹氏のことは、史料が少なく伝承の食い違いなど不明なことが多々あります。限られた諸史料・諸文献に頼って、明らかにしていきたいと思います。
伊丹氏は、藤原氏北家房前(フササキ)魚名(ウオナ)流の家系です。すなわち藤原鎌足が先祖ということになります。さらに神代に遡れば天児屋根命(アマノコヤネノミコト)が始祖(祖神)です。天岩戸神話に登場し、春日大社の祭神の一柱です。奈良時代後期の左大臣魚名を先祖とする有力な氏族には、藤原秀衡・佐藤義清(西行法師)・大友宗麟・蒲生氏郷・山内一豊・伊達政宗らを挙げることができます。
魚名の5代後に「リジン将軍」と呼ばれた利仁(トシヒト)がいます。平安時代中期に摂関家に仕え上野介・上総介・鎮守府将軍を歴任した人です。下野国(栃木県)の高蔵山で群盗千人を平定し武名をあげたと言われています。青年時代のことが『今昔物語』にあり、芥川龍之介の小説『芋粥』に登場します。
その末葉が源頼朝に仕えた加藤次景廉(カゲカド)という御家人です。治承4年(1180)8月父兄弟と共に頼朝の伊豆挙兵に参加し、のち源範頼軍に属して西海にて平家と戦っています。遠江国(静岡県)浅羽荘の地頭職を与えられ、その後出家して覚蓮坊妙法と号し美濃国(岐阜県)恵那郡岩村に隠棲しました。
この景廉の子孫が伊丹氏です。景廉を先祖とする有名な人物に、時代劇でおなじみの「遠山の金さん」こと江戸町奉行・遠山左衛門尉景元がいます。ほかに飛騨(岐阜県)苗木1万石の遠山友政、賤ヶ岳七本槍の一人・会津(福島県)40万石の加藤嘉明、同じく羽柴秀吉に仕えた加藤光泰は甲斐(山梨県)24万石の大名となっています。そして戦国時代の伊丹氏の上役となる遠山綱景も同じ末裔です。遠山氏は景廉の子景朝が、美濃国恵那郡遠山荘の地頭になったことから始まります。