かなざわの人物 歌川広重
ウタガワヒロシゲ 1797-1858 江戸時代後期の浮世絵師。
本名は安藤重右衛門。 江戸の定火消同心で、13歳で両親を失い家督を継ぎ、歌川豊広に入門しまし た。36歳で養子に火消職を譲り、絵師として独立しましたが当初絵は売れませんでした。定火消目付に狩野派の絵師がおり師事し、36歳の時に幕府の行事で京都に上り、天保4 年(1833)「東海道五十三次」を発表して一躍人気絵師となりました。大津に立ち寄りスケッチし、中国の山水画「瀟湘八景」にならって翌年「近江八景」図を出しました。
この頃妹の夫とされる芝増上寺の僧了信が、小机(港北区)の泉谷寺に住職として赴任しており、泉谷寺を訪ねて本堂の杉の板戸に、山桜とシダレ桜を描きました。壮麗な直筆画で神奈川県の重要文化財です。絵の具の剥げ落ちが危惧されています。天保6,7年ころに「金沢八景」図を発表しました。
これらにより名所絵師として広重は高く評価されました。金龍院(瀬戸)依頼の小判の八景図も二種類あります。晩年の「武陽金沢八勝夜景」図は大判3枚を縦に一景とした「雪月花」三景を描いた名所絵の大作です。その月が野島を中心に金沢の夜で、この景観を好んでいたことが分かります。この絵は海外でも人気があります。
(林原泉)
「金沢八景」を題材に歌川広重が8つの大判錦絵の制作しており、後に歌川広重の代表的な作品となっています
- 小泉夜雨(こずみのやう)
- 称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)
- 乙艫帰帆(おっとものきはん)
- 洲崎晴嵐(すさきのせいらん)
- 瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)
- 平潟落雁(ひらかたのらくがん)
- 野島夕照(のじまのせきしょう)
- 内川暮雪(うちかわのぼせつ)