かなざわの人物 中江入道 ミナト入道

ナカエニュウドウ ?ー1335 ミナトニュウドウ ?-1349 鎌倉時代後期〜南北朝時代の有徳人(ウトクニン 中世の裕福な農民・商工業者)。

 年貢輸送などで富を蓄えた人々で、金沢の経済的な繁栄の基礎を築きました。県立金沢文庫には、称名寺僧侶の※布薩記録があります。僧侶が懐中に入れて持ち運んだ小さな正方形の冊子には、仏教説話などが記録され法要で読まれ、表紙には依頼者に関わることが簡潔に記されています。大旦那金沢北条氏を失った称名寺は、有徳人たちに布薩活動を行い経営の助けとしました。この布薩記録の人物に蒲里谷の中江入道と瀬ケ崎のミナト入道がいます。

 金沢貞顕書状に中江入道の鎌倉邸が焼け気の毒とあり、称名寺の覚意の手紙に寺領年貢を収納する代官に「中江入(道)」を任命したとあります。また称名寺4世長老の実真がミナト入道の三回忌の供養に使用した説草の本文は、先代の湛睿が中江入道のた めに用いた文章をそのまま遣い回していることから、この二人は同じ立場の有徳人でし た。有徳人は、中世には「得」は「徳」につながり大金持ちは清く正しい生き方をする人と考えられていました。

※布薩=僧侶自身の往生の妨げとなる罪業を懺悔する儀式。のち俗人死者供養や生前に冥福を祈る逆修を意味しました。

(田中保)

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