かなざわの人物 三条実美
サンジョウサネトミ 1837-1891 幕末・明治前期の公卿・政治家。
明治政府元勲たちが、船を利用して景勝の富岡の地を訪れ、明治16・17年ごろから22・23年 ごろまで別荘を構えていました。
東京湾を一望できる海岸線を南から順に北へ、井上馨(外務・大蔵大臣)・大鳥圭介(清国・朝鮮公使)・松方正義(大蔵・総理大臣)・田中不二麿(法務大臣)等、そして富岡総合公園の北東部に「富岡海荘」という別荘を持 っていたのが三条実美(太政大臣・内大臣)でした。
父実万(サネツム)の屋敷は、雨の時は傘が必要なほど困窮していました。実万・実美は 尊王攘夷派として活動しました。実美は主義主張を持たない意志薄弱な人でした。征韓論で政府内部が分裂し、その狭間にあって精神錯乱して卒倒し、政務不能になってしま いました。性格は非常に温厚で、実美を恨む人は誰もいなかったようです。
華族制度制定で公爵を授けられ、華族会館設立を支援しています。本牧(中区)から 観音崎(横須賀市)にかけての美しい海岸線を、画家に描かせた「富岡海荘図巻」(明 治22年)が残されています。昭和30年代以降埋め立てられ情景は大きく変わりました が、今も断崖絶壁を見ることができ昔をある程度偲ぶことができます。
(井上泰利)