かなざわの人物 北条実時

ホウジョウサネトキ 1224-1276 鎌倉時代中期の武将・政治家。

 天福元年(1233)伯父北条泰時を後見人として元服しました。
 翌年父実泰が病を理由に27歳で 隠居・出家したために、父に代わって11歳で小侍所別当に就任しました。ゆえに実質的には実時が金沢北条氏初代とされています。
 さて、「金沢北条氏」の通称は、南北朝時代以降の文献に登場します。三代執権泰時から八代時宗にわたって重用され、引付衆・評定衆・引付頭人など鎌倉幕府の要職を努めました。
 学問にも励み、明法道の清原教隆に漢籍訓読を学びました。『令義解』『群書治要』『源氏物語』『古今和歌集』などを読んでいました。古記録に「平実時の堂廊」とあります、 正嘉2年(1258)~正元元年(1259)ころ父母菩提供養のため、小規模な堂宇・念仏堂を建立しました。文永4年(1267)審海を招いて、律宗寺院「称名寺」が成立しました。
 鎌倉の邸宅が2度火災(1247・1270)に遭い、蔵書を守るため建治元年(1275)金沢の地に「金沢文庫」を創建したと言われています。しかし実時の蔵書が基礎にはなったでしょうが、「金沢文庫」の大半は孫の貞顕の代に収集された書物によって構成されたと考えられています。 建治元年5月、病により引退し、称名寺西側にあった別邸で過ごしました。

(井上泰利)

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