かなざわの人物 藤原道長
フジワラノミチナガ 966-1027 平安時代中期の公卿。
能見堂緑地に昔「能見堂」 があり、寛仁年間(1017-1021)にこの地を訪れた御堂関白(ミドウカンパク)と言 われた道長が、草庵を結んだのが最初と言う伝承があります。さらに近辺の谷津浅間神社が建つ小さな山を「塗桶山」(ヌリオケヤマ)と名付けたのも道長と言われています。塗桶とは、①漆塗りの桶②桶に似た綿摘みの器具のことで、それに似ていたからでしょう。『新編武蔵風土記稿』『金沢能見堂八景縁記(起)』『金沢名所杖』など江戸時代後期の書物に出ています。
これは創作ですが、寛仁の頃の道長の様子を見てみましょう。1016年左大臣を辞任、内覧(関白に準じた職務)から摂政となり、翌年摂政も辞任し太 政大臣となっています。1019年には出家しています。この頃道長は胸病と眼病(糖尿病性網膜症)に悩まされていました、遠出はとても無理です。30歳頃から腰痛で、その他糖尿病•白内障など持病を多くもち、喘息にも苦しんでいました。風邪や胃腸病はしょっちゅうでいつも薬を服用している人物でした。
会議は深夜に至り宿直もあり、不規則な生活でした。当時の酒は甘味が高く、飲みすぎも良くなかったでしょう。それでも万寿4年12月4日、62歳まで生きました。
(井上泰利)